2015年 個展 ステイトメント

2015年 個展 ステイトメント


 世界をより深く認識したい、そうすればより美しいものを見て触れることが叶うのではないか、その願望がわたしが絵画を作る上での根源的な動機となっています。世界を認識する為の作法を探るうえで、日本画を出自としている自分にとって写生という概念は有効な手がかりとなりました。目に映るすがたを写しとることから始まり、より俯瞰してそれらの関係性を見つけ世界の在り方を探ること。それは今のわたしが絵を描く上で、最も基本的な思考理念となっています。

 わたしには幼い娘がいるのですが、子育てをすることは娘をとおしてあらためて世界を認識しなおすことなのだと感じています。日々生活するなかで、娘が見たこと感じたこと、そして其処にただ存在するというその在りようそのものを写生し絵画として描き出すことができないだろうか、それが世界をより深く認識する手がかりとなりとなるのではないか、そのような思考を始点に作画を進めていきました。そこにいる、在るとはどういうことだろうか。人と対峙したとき、そこにその存在を象徴するような形象や風景のようなものを感じることがあります、それは肉体としての特徴や仕草、語る言葉や纏った雰囲気など様々な因子が絡み合って現れる魂の形なのかもしれません。そのような、人のような風景のような形象、それぞれが境界を曖昧に絡み合う状況を写生し絵画としてつくりだすことで、知覚し得ない次元での存在の認識を可能にするのだと考えています。

 また、 それはただ目の前に存在するという、世界の謎の一端に触れることでもあり、そこにわたしが求める一つの美しき真理があるのではないか、それを見ることを希求しつつ今は筆を運んでおります。

2013年 個展 ステイトメント

2013年 個展 ステイトメント


 あなたとわたしがここにいる、当たり前のことだけれども、考えただけでそれはとても不思議な状況です。
あなたとわたしとその風景、境界が存在を規定するなら、その根拠は実はとても曖昧なのではないか、その不確かかつ曖昧な状況そのものがそのありようを裏付け、あなたとわたしを存在させているとしたら。
 それはとても素敵なことだし、また少し怖いことでもあると思います。

 あなたとわたしとその風景、そのありようそのものを絵にできないか。

 それはその人そのものをえぐり、見えないものを見せてしまう怖さがあるかもしれないけれど、もし実現できたのなら、より深く何かがわかるのではないか。

 そして、目の前の絵は物質であって限りなく物質でないものになり、世界の謎の端に触れる瞬間が訪れるのでは。

 そのようなことを願いながら日々筆を動かしています。

2013年 作品について

2013年 作品について


 描くことをとおして世界の謎に触れることができないか、と考えながら筆をとっています。

 それは存在することの起源や意味を探ることでもあり、自分は写生を手掛かりに世界を観察し、関係性や事象を絵画内に世界の相似形としてつくり、そこでの出来事により生まれる様々な反応から、存在、そのあり様を可視化しようと試みてきました。
 そのような、俯瞰することで捉えようとしていた手法に対して、対象そのものとの距離を縮め、制作過程において直感に委ねる思考を優先することで、世界をより複雑に曖昧に、ある揺らぎの産物として捉えることで、出来事や存在の暗喩ではなくそのものをつくることができないかと考えています。
 そこで魂や精神、不可視なものの依代そのものである人間を対象に選び、その人の存在のあり様を景色として作ることで、存在することの意味を逆照射すれば、何か謎の一端を知覚することができるのではないかと期待しています。
 また、その行程は絵画としての純粋性を考えることでもあり、オブジェクト(物質)としてではなく、依代を超え、精神、魂、概念、不可視なもの、そのものとしての絵画に近づくことでもあると自分は考えています。


2012年 個展 ステイトメント

2012年 個展 ステイトメント


 描くことにより何ができるのか、描くこととは何かを考えながら絵をつくり続けています。

 平面上でひたすら線を引き、色を差し、形を作る、という行為を繰り返し、美しい状態が現れる奇跡の瞬間、その痕跡が現れることを密かに望んでいます。

 日々の生活の中で、存在することを俯瞰し、世界を記述すること。その行為により自分を取り巻く名もなき存在や現象を、絵画の中に圧縮、還元して立ち現せたい。そこに生まれる物語に、私たちを含めた世界の実感を込めることができれば、それが私の望む痕跡になってくれるのではないだろうか。

 そのようなことを考えながら筆をとっています。

2008年 新美術新聞 私の宝物

2008年 新美術新聞9月1日号 
『私の宝物 スケッチブック』


 学生の頃、まずは形から…という思いと絵描きになったような気分を味わいたくて、常に数冊のスケッチブックを持ち歩いていました。常日頃から何か描いていないとおさまらないという人間ではないので、その内容は気の向くまま、判別不能の線の集積や素描、思いついた言葉、漫画の模写まで非常に脈絡のないものたちの集積です。とても人様に見せられるような代物ではありません。
 アイデアスケッチとしてそこから自分の作品へと昇華することもあるのですが、それよりも無意識の線やことばから当時の記憶や考え方をもう一度実感をもって感じられることが、現在の自分にとっては重要な機能であるように思います。特に自分の場合は具体的な風景や形態よりも、ちょっとした線の強弱やページの使い方に当時の思考や記憶が色濃く表れるように感じ、旅先で友人と戯れに描いた落書きや何気ないメモなどは、写真よりもより鮮明にそこでの景色や印象を蘇らせてくれます。

 よく物故作家の展覧会などでスケッチブックが展示されているのを見ると、なんだか個人的なプライバシーまで露わになっているように感じ、本当は人に見せたくなかったのだろうなぁ…と思いつつもその思考の形跡や意外な人間味を読み取るのを楽しみにしていたりします。何気ない素描や言葉に込められた、未整理のアイデアや思いがどのように作品として集約されていくのか、やはり自分の過去のものを見ても意外な思考の痕跡や発想を発見し今現在の制作のヒントに繋がっているように感じます。
 今の自分にとってはそのようなものたちの集積が、最も大切なものなのではないかと思います。月並みですがそれこそが自分自身の集積でもあり、掘り下げるべき恰好のモチーフであるからです、過去の思考の集積と現在の思考…それらを比較し点と点を結んだ先に次の領域が見えてくるのだと思います。

 そのような意味ではかたちから入ったスケッチブックも、今ではかけがえのない記憶の集積として自分自身の指針になっています。





2007年 ACAF ステイトメント

2007年 ACAF ステイトメント


 I create my work with emphasis on entertainment nature of art that is founded on "stories" as well as on creation of visual images that are mentally
stimulating.
 "Stories" are expressed by fully utilizing unique decorative style, playfulness and aesthetic selectiveness inherent in Japanese DNA. By reintroducing certain symbolic objects or scenes in paintings, I present my stories as the mirror image of reality laced with fascinating riddles and metaphors.
 In working with 3-D pieces, I use the glowing effects of metal foils and mineral pigments to create an atmosphere where profound spiritual depth normally associated with Buddhist paintings can be felt. Influenced by the spirit and teachings of Rimpa - a school of aesthetics that included many of prominent artists of the Edo period - that emphasize visual delights, I am determined to establish and further advance relationship between two images(one being the mirror image of the other) in a visually arousing manner.
 I believe visual expressions that appeal to the very basic human senses are
what we need in today's chaotic society. It's this kind of ideas that form my creative core.